美人画礼賛

《素踊》山川秀峰|女性舞踊家が極限まで追及した女性美のかたち

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「美しい着物姿」を作るプロの技

着物姿を美しく見せる為に、淑やかな衣装の下で、日本舞踊家の身体は無理な体勢をとっている事がよくあります。
観客に「美」を提供すべく、己のあらゆる部位の筋肉や関節を制御し、足の運び方、指先の表現、目線の配り方といった細部にまで意識を集中させているのです。しかも、それらは曲に合わせて常に変化する動きの中で瞬時に行われています。
なぜそのような事が可能なのか?それは「日頃の鍛錬」によるものです。

「あー、やっぱり私にはムリ…」と思われた方、そんな事はありません。毎日は難しくても、ちょっとした季節ごとのお出かけに着物をお召しになるだけで、回数を重ねる度に着物姿が美しくなっていきます。とにかく「着物に慣れること」が大事です。ちょっとくらい失敗しても、次の機会に気をつければ良いのですから。

「こういう風に着こなしてみたい」「優雅な身のこなしをしたい」とイメージした瞬間から、あなたの「美人しぐさ」は、もうスタートしています。洋服姿では表せない、日本人女性の美が惜しみなく表現されている美人画は、「美しい着物姿」づくりの良きお手本です。
今回ご紹介する作品《素踊》を描いたのは、鏑木清方の弟子であった山川秀峰です。清方門下の伊東深水、寺島紫明と並んで“三羽烏”と称されています。

 

まずは、作品をみてみましょう。
絵のモデルとなったのは、初代花柳寿美(はなやぎすみ・1898-1947)。高島田の髷に総疋田の裾引、写実的な烏瓜の図柄が描かれた変わり結びの文庫帯を胸高く締めています。曙のように暈した金地の扇子を用いて、後ろを向いて身体を捻り、“反り身”になった一瞬が描かれています。今日、女性による女踊りの「素踊(すおどり)」と言いますと、ごく当たり前にこのような姿(男踊りの場合は、前割れに後見結び)が思い出されますが、この作品が描かれた昭和初期においては、たいへん斬新なスタイルでありました。

「素踊」という、装飾の一切を省いて扇一本であらゆるものを表す“究極の表現形態”が生まれ、「舞踊家」という職業が確立したのも、この頃です。それまでは、歌舞伎役者による「女形」という、白塗り・鬘・衣装付きで、豪華な大道具装置を背景にした所作事はありましたが、踊りの師匠や振付師が表舞台に出て、素顔で芸を披露するというのは、考えられないことでした。

アンナ・パブロワが来日し、それまで日本人が殆ど目にしたことの無かった「バレエ」が、日本の舞踊界にもたらした影響は計り知れません。市川猿之助、中村福助、尾上栄三郎、市川男女蔵といった若手歌舞伎役者たちが、パブロワから刺激を受けて次々と新作舞踊を発表しました。この流れが舞踊家へも引き継がれ、花柳壽輔や藤蔭静枝(のち藤蔭静樹)らによって「新舞踊運動」が起こり、日本の舞踊界へ新風を巻き起こすことになりました。

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花柳寿美は、「新舞踊運動」を代表する舞踊家の一人です。明治31年(1898年)岐阜県生まれ。本名を大橋勇といい、新橋「小奴」の名で活躍し、やがて舞踊家として頭角を現します。その美貌と天性の華やかさが注目され、化粧品のイメージキャラクターとして起用されるなど、多方面でも才能を発揮しました。

《素踊》が発表された昭和6年は、花柳寿美による新作舞踊発表会が帝国ホテルで開催されるなど、女性舞踊家のスターとして目覚ましい活躍をしていた頃です。
山川秀峰が描いた姿からは、彼女が、歌舞伎役者などの男性による「女形」の踊りではなく、「女性による女性の為の身体的特徴を生かした踊り」や「女性の身体のラインを美しく見せる工夫」を研究していたことが随所に伺えます。

 
女性の身体的特徴を生かして、魅せる。

私たちの普段の着物姿にも参考にできる、「工夫」のいくつかを画中のしぐさからご紹介しましょう。
上半身を単純に反るだけではなく、文庫帯の羽で隠れた辺りの広背筋や腹斜筋を縮めながら後ろへ捻ることで、憂いた横顔を僅かに見せています。
扇子を持つ右腕の肘は、肩よりも低い位置にすることで自然な優美さを演出。その下から見える左手の指先は揃っていますね。右肩同様に、左肩も上げない事が基本です。
引いた裾で隠れている両足の指先は常に内側へ向けられ、“ハの字”になっています。裾が長いと見えないだろうと思って油断している時に限って、見られていたりするので要注意です。膝の内側同士をつけることも忘れてはなりません。
着物の皺の寄り方から、左足の踵を軽く上げていることが分かります。これも「新舞踊運動」らしい型と言えるでしょう。下半身がスラリとし、脚が長く見えるよう工夫されています。着付の際に、腿の辺りへ着物が吸い付くようきっちり着付ける(腿の周りに布の余分な空間を作らないようにする)事で膝下の裾が広がり、所謂「マーメイドライン」の完成です。

 

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新しい美人画の表現に取り組んでいた山川秀峰が、花柳寿美という女性舞踊家の躍進と、素踊という新しいスタイルの踊りの誕生を敏感に感じ取り、持てる技を駆使して描いた傑作と言えましょう。秀峰が47歳という若さでこの世を去ったことが惜しまれます。

最後に、花柳寿美から見た山川秀峰の印象についてご紹介しておきます。
「山川先生は、ものごとに愼重な、どつちかといへば線の細い方(かた)で、畫面の色彩にしても、大體淡い感じですね。美人畫といふものは、いくら綺麗でも、床の間にかけられないものが多いのですが、あの先生のなら、間違なくぴたりとはまります。」(『初代花柳壽美』里見弴編述)
 
今回の取材にあたり、三代目花柳寿美先生から当時の貴重なお話を色々とお聞かせ頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。(中千尋)

【作品解説】

第12回帝展(昭和6年)に本作を出品し、以後無鑑査。新進気鋭の女性舞踊家、花柳寿美の姿を描いて話題となる。

【作家略歴】

山川秀峰(やまかわしゅうほう)1898~1944(明治31年~昭和19年)京都市生まれ。
始めは池上秀畝に師事して花鳥画を学び、大正2年に鏑木清方へ入門し美人画を学ぶ。伊東深水、寺島紫明と並んで清方門下の“三羽烏”と称された。第1回帝展(大正8年)に《振袖物語》を出品し初入選。第9回帝展(昭和3年)で《安倍野》が特選となる。同展9回での《序の舞》や二千六百年奉祝展の《信濃路の女》等の代表作がある。昭和14年に伊東深水と青衿会を結成、人物画の表現研究、発展に努める。享年47歳。

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