美人画礼賛

《白梅紅梅》島成園|歌舞伎は着物のお洒落の宝庫!

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今回は、歌舞伎のお話をアレコレと。
江戸のファッションセンスが満載の歌舞伎は、観劇するだけではもったいない「着物のお洒落の宝庫」です。
美人画には、歌舞伎から取り入れた美意識が散りばめられている事がよくあります。
これからご紹介する《白梅紅梅》も、一見すると、古典的な見返り美人の絵ですが、島成園が仕掛ける歌舞伎ワールド全開の作品です。コーディネートはもちろんの事、“元ネタ”を探ればもっと楽しめる、遊び心にあふれた作品を拝見して参りましょう。

 

女が着こなす男の羽織

右の作品をご覧下さい。黒繻子の衿と、たっぷりした「ふき」のある粋な縞模様の着物の褄を取り、男の羽織を纏う、仇っぽい姐さんですね。
浅黄の蹴出しや青い鼻緒は、年増の色気を感じさせます。“年増”と言っても、お婆さんではありません。昔は20歳を過ぎた女性は皆、年増と呼ばれました。
「左手」で褄を取るのは、基本的に芸者ですね。では、この絵の女性は……?

蹴出しや鼻緒と同系色の色使いでサラリと着こなす羽織は「男物」です。男性の羽織と女性の羽織では、主に袖の仕立て方が違いますので、すぐに分かりますね。羽織紐の結び方も、男女で違います。
女性が男物を羽織るというのは、今風に言えば(?)「メンズのジャケットを着てサイジングの妙でお洒落する」という感じでしょうか。着ている女性の華奢さを引き立てますし、丈が長いので、縦長のほっそりとしたライン作りに一役買ってくれます。
防寒対策としても、男物の羽織の方が優れているのではないかと個人的には思っています。振り口が開いていないので、風が入ってきませんし、地味目な色合いの表地に対して、裏勝りの羽裏にする楽しみがあるのは羨ましいですね。

 

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髪型は「馬の尻尾」といいます。洗い髪を襟のうしろで一束にして結ぶという、何気ないところに色気が宿ります。
でもこの女性は、はたして湯上りなのでしょうか?柘植の横櫛も気になります。

 

しがねぇ恋の情けが仇

ここまで見てきて、ピン!ときた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そう、歌舞伎で人気の世話物『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)に登場する「お富」を彷彿とさせるアイテムで彩られているのです。
(ストーリーをご存知ない方はコチラをご参照下さい。)

男物の羽織は、序幕「木更津海岸見染の場」で、伊豆屋の若旦那として登場する与三郎が着ている羽織のような、品の良い色合いです。赤間源左衛門の妾お富に一目惚れして放心し、肩からずズリっと滑り落ちる「羽織り落とし」で有名な場面を想起させます。
13:42あたりから「羽織り落とし」が始まります。

前でゆったり結んだ細帯は、「赤間別荘の場」のお富と与三郎の濡れ場を暗示するような意味深な演出。

 

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梅の苗木の鉢を掲げ持ち、褄を取るしぐさは、「源氏店の場」の冒頭で見せる湯帰りのお富の姿にそっくりではありませんか?
(右 参考作品/《与話情浮名横櫛 妾お富 六世尾上梅幸》4代目長谷川貞信)

赤い糠袋を口にくわえ、蛇の目の傘をさして褄を取るという、艶かしく色っぽいしぐさでお馴染みの印象的なシーンです。島成園があえて左褄で描いたのは、お富が赤間源左衛門の妾になる以前は、深川の芸者だった事を匂わせているかのようです。

黒繻子の襟に縞模様の着物も、髪型が馬の尻尾に横櫛なのも、源氏店のお富そのもの、と言っても良いのではないでしょうか?
玄人感漂う上目遣いで描かれているのにも合点がいきます。

 

私の勝手な想像ではありますが、画題の《白梅紅梅》から推察してみますと、六代目尾上梅幸を想って制作されたのではないかと考えられます。十五代目市村羽左衛門の相手役として活躍した梅幸の舞台を、島成園も目にしていたのかもしれないと思えば、作品鑑賞がますます楽しくなります。

 

島成園は、明治23年(1890年)大阪堺市生まれの女流画家です。北野恒富や木谷千種と同時期に活躍し、大阪画壇の隆盛へ大いに貢献しました。
絵師である父の栄吉(文好)と兄の市次郎(御風)から絵を習い、ほぼ独学で日本画を習得。大正2年の第6回文展で《宗右衛門町の夕》が初入選してからは、目覚ましい活躍を見せました。独特の感性によって選ばれた画題と色彩感覚は、作品発表の度に話題となり、島成園の絵に憧れた若手女流画家が次々と誕生しています。

一度見たらハマること間違いなし?!の島成園の作品を大いに堪能できる、笠岡市立竹喬美術館特別展「艶美の競演−東西の美しき女性」(2014年10月4日〜11月24日)は、好評開催中です。
今回ご紹介した《白梅紅梅》も、もちろんご覧頂けますので、ぜひおススメしたい展覧会です!
(中千尋)

 

【作品解説】

木原文庫の島成園コレクションを成す一幅。制作年は不詳で、この作品に関する研究は始まったばかりである。

【作家略歴】

島成園(しま せいえん)1892~1970(明治25年~昭和45年)
大阪府堺市熊野町生まれ。本名諏訪成榮。父島栄吉(絵師 文好)と母千賀の長女として誕生。父や兄市次郎(御風)から日本画の手ほどきを受け、その後独学で習得。大正2年(1912年)の第6回文展で《宗右衛門町の夕》が初入選。第9回の同展でも《稽古のひま》が入選。大正5年(1916年)には木谷千草、岡本更園、松本華羊とともに「女四人の会」を結成して女流画家による展覧会を開催。
大阪朝日新聞の連載小説の挿絵や、雑誌『主婦之友』の表紙絵を担当するなど、本画以外でも精力的に制作活動を展開。革新的な行動は常に注目され、北野恒富や谷崎精二(谷崎潤一郎の弟)、横綱大錦卯一郎などとの恋愛ゴシップ記事が新聞に掲載されるという有名人的側面もあった。銀行員森本豊治郎の妻となってからは、夫の転勤等で作品制作を度々中断。豊治郎の退職後は、再び制作発表に尽力する。昭和45年(1970年)78歳で死去。
二人展などで互いに親しく交流した岡本成薫は、昭和46年(1971年)に島成園の養女となる。

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