美人画礼賛

《聴雨》小早川清|昭和の歌姫「市丸」直伝!美しい横座り

昭和の歌姫「市丸」から学ぶ美しい横座り

正座をしていて、足の痺れにガマンできなくなった時、ちょっと足をずらして「横座り」をする事ってありませんか?女性ならば誰でも経験があると思います。ジンジンする痺れから解放されて、ホッと一息……してはなりません。ここでも美人は気を抜かないのです。今回ご紹介する作品は、小早川清《聴雨》です。浅草の芸者を経て、昭和を代表する歌姫となった市丸さんをモデルに描いたこの絵には、難易度の高い「美人しぐさ」が描かれています。
どのようにして美しい横座りをキープするのか? 教えて、市丸姐さん!

小早川清《聴雨》

簾(すだれ)屏風が夏の風趣を演出するお座敷。
行燈(あんどん)にはあかりが灯り、炎の揺らぎが時間の流れをゆるやかにする。
三味線を弾く手を休め、外の雨音に耳を傾ける女が二人。

画面右の女性は市丸さんです。彼女の歌声を懐かしく思い出される方もいらっしゃるのではないでしょうか?
市丸さんは長野県生まれ。浅草の芸者時代に、その美貌と美声が評判を呼び、日本ビクターからスカウトされました。『ちゃっきり節』『天竜下れば』『三味線ブギウギ』など数多くのヒット曲を世に送り出し、瞬く間にスターの座に駆け上がりました。その美しい容姿から恋のウワサも数多くあったようですが、実際は芸道にひたすら邁進するストイックな女性だったようです。長唄、清元、小唄、端唄、民謡、宮薗節などの邦楽を極め、後に江戸小歌十七代宗家を襲名しました。芸に精進し、己に厳しかった市丸さん。小早川清が描いた姿からも、その生き様が伺えます。

市丸さんの装いを拝見していきましょう。墨染めのような落ち着いたトーンの着物には、夕顔の白い花が咲いています。単衣のように見えます。総絞りの帯揚げに、唐獅子柄の帯。斜めに締めた粋な帯締めには、翡翠の帯留めが華を添えています。墨流しの団扇が涼しさを感じさせるのに一役買っていますね。

小早川清《聴雨》

「横座り」は休めのポーズではない

さて、いよいよ「横座り」に注目していきます。団扇を持たないほうの手の指先を床に着け、足を僅かにずらして横座りしているのがお分かり頂けるでしょうか?
この時、猫背にならないように上半身の姿勢をキープします。背中が丸まると、おはしょりがめくれ上がって来ますのでご注意下さい。
正座ではなく「横座り」をするということは、骨盤の位置が不安定になりますので、脇腹の筋肉を使って腰の形を固定します。
床に手を着いている腕に体重をかけるのではなく、脇腹の筋肉で上半身のバランスをとることで、女性らしい着物姿には欠かせない「なで肩」を保つことができます。
両腿の間を閉じたたままにしないと裾が乱れてきますので、下半身の形にも注意が必要です。正座はできても横座りができない、という方は脇腹の筋肉が衰えている可能性があります。(腰痛の方は無理なさらないでください。)

 

bijingaraisan_
画面左の島田髷の芸者さんも横座りをしています。襦袢が透ける淡い地色の絽の引き着には、松や桔梗、撫子、網干などが丹念に描かれ、黒地の帯には柳と流水の贅沢な刺繍が施されています。
帯に挟んだ懐紙から下げた根付のブラは小ぶりで、さり気ないお洒落を感じます。絞りの帯揚げはたっぷり見せて若々しい印象を与え、帯留めも玉簪と同じく翡翠を用いて夏の風情を醸しています。(翡翠の玉簪は夏に使用するというのが花柳界では通例。)
扇子には露芝と月が描かれ、どこまでも粋なスタイリングは、さすがプロの美意識と言えましょう。
一見するとリラックスして、休んでいるように見える「横座り」も、よく見れば美人しぐさの宝庫。余計な意識をせず、サッと座れるように日頃の意識を大切にしましょうと、お姐様方が教えてくれます。
今年の夏は京都の川床を楽しみたいという方や、掘り炬燵式ではないお座敷で食事する時の足の痺れにお困りの方も、ぜひ実践してみて下さい。あなたの着物&浴衣姿が、隣の方よりも美しく見えること間違いなし!です。
(中千尋)

 

【作品解説】

小早川清が市丸をモデルに描いた作品のうちのひとつ。『天竜下れば』など数々のヒット曲が発売され、プロモーションに忙しい最中を縫ってモデルをつとめたと考えられる。湯上りの肌に襦袢一枚を纏っただけの市丸を小早川が描いた版画が《聴雨》の制作以前から発表され、二人は何か特別な関係にあるのではないかという噂もあった。簾屏風や行灯などの調度品や、夏の着物の表現等、画面の隅々まで丹念に描かれ、作品への意気込みが感じられる。

【作家略歴】

小早川清(こばやかわきよし)1899~1948(明治32年~昭和23年)福岡市生まれ。19歳で上京し鏑木清方に師事。小児麻痺による後遺症があり、左手一本で絵を描いていた。清方門下生による郷土会に参加して研鑽を重ね、《長崎のお菊さん》で大正13年(1924年)の第5回帝展に初入選。その後も長崎の風俗やキリシタンを題材とした美人画を発表。昭和8年(1933年)には市丸を描いた《旗亭涼宵》が帝展で特選となっている。新版画の分野でも「近代時世粧」等で実力を発揮した。

美人画礼賛バックナンバーへ