美人画礼賛

《娘深雪》上村松園|美人画の巨匠が理想とする女性「深雪」

上村松園が理想とする女性像

《娘深雪》上村松園

「日本の女性の中で一番好きなのは、深雪と淀君」であると、美人画の巨匠・上村松園は述べています。今回ご紹介するのは、その深雪を描いた《娘深雪》。生涯にわたり理想の女性像表現を模索し続けた松園の、代表作の一つともいうべき作品です。

深雪は、浄瑠璃や歌舞伎でおなじみの「朝顔日記」(生写朝顔話/しょううつしあさがおばなし)のヒロインです。宇治川へ蛍狩りに来た宮城阿曽次郎(みやぎあそじろう)という青年と、秋月弓之助の娘・深雪は、出会った瞬間にお互い惹かれあいます。阿曽次郎は、深雪の持っていた扇に次の歌を書いて渡します。

「露のひぬまの朝顔を、てらす日かげのつれなきに、あはれ一(ひと)むら雨(さめ)の、はらゝと降れかし」
(「浄瑠璃名作集」松山米太郎 校/大正11年 より引用)

その後、二人はそれぞれの事情で離れ離れに……。思いつめた深雪は泣きはらし、盲目になってしまいます。再び出会うも、目の見えない深雪は阿曽次郎が目の前にいても気がつきません。幾度もすれ違いを繰り返す二人。メロドラマのような恋愛ストーリーが展開される「朝顔日記」ですが、一貫して描写されているのは、深雪の一途な心です。いかなる境遇になろうとも、愛する男を思い続ける健気さが、松園の筆を動かしたのかもしれません。

画中の深雪は、まだ目が見えている時分で、阿曽次郎が歌を書いてくれた扇を手文庫から出してこっそり眺めていたら、どこからか足音が聞こえて ハッとなり袂で隠した。という瞬間を描いています。扇が黒っぽく見えるのは、銀が酸化した為です。作品が発表された当時は上品な銀の光を放っていたと推測されます。前髪をとった下げ髪は清楚で、わずかに開いた口元は花びらのような愛らしさです。珊瑚色の総鹿の子の中振袖の袂と裾には葦が描かれ、深雪と阿曽次郎が初めて出会った宇治川のほとりを連想させます。帯は女方歌舞伎役者・水木辰之助が結んだことで人気のあった「水木結び」。深雪が奏でていた筝の龍頭には螺鈿細工や金彩が施されています。

娘深雪2

「とっさの時」こそ日頃の姿が見えてくる

“瞬間を描いた”作品ですが、かたち作られたしぐさは、清楚な娘らしさを見事に表現しています。両膝を着けたままで、膝から下を“ハの字”に開いて下半身を固定し、わずかに腰を浮かせて振り返るこのしぐさを実際にやりますと、腹筋や背筋に負荷のかかる姿勢であることがお分かりいただけると思います。振り返って見やる方の肩を「なで肩」にキープしていることが、緊張感の中にありながらも品位を失わない為のコツです。右手の袖口を胸の高い位置に持ってくることで若い娘を表現するのは、歌舞伎の女形や日本舞踊での常套手段です。手の位置が低くなるにつれて年増になります。
とっさの時にこそ日頃の姿が出るというもの。深雪をお手本にして、ますますキレイに磨きをかけましょう。
(中千尋)

※今回ご紹介した《娘深雪》は、足立美術館で開催される夏季特別展「竹内栖鳳と上村松園 京都の日本画家たちとともに」(2014年6月1日~8月31日)に出品されています。等身大に近いサイズで描かれた画面からは臨場感があふれ、丹念に描かれた鹿の子の絞りや、繊細に描写された髪の毛の一本一本を、実際にご覧頂ける絶好のチャンスです!

 

【作品解説】

平和記念大正博覧会(大正3年)に出品されたこの作品について、松園は次のように述懐している。「日本の婦人の中で誰が一番好きだ、と云はれますと、…中略…妾(わたし)は朝顔日記の深雪と淀君が好きです。…中略…まだ盲目(めくら)にならない深雪が、露のひぬま……と書かれた扇を手文庫から出して人知れず愛着の思(おもひ)を舒(の)べてゐる處(ところ)に跫(あし)音がして、我にもあらず、其(その)扇を小脇に匿(かく)した、と云ふ刹那の處を一度描いた事があります。」(「朝顔日記の深雪と淀君」/大毎美術/大正13年)

【作家略歴】

上村松園(うえむら しょうえん)1875~1949(明治8年~昭和24年)
京都市下京区生まれ。本名津禰(つね)。父親は松園が誕生する直前に他界した為、母仲子によって女手一つで育てられる。京都府画学校へ入学(明治20年)、同年四条派の鈴木松年の画塾へ入門。明治26年から幸野楳嶺に師事、楳嶺が死去した為、明治28年から竹内栖鳳に師事。様々な流派の技法を身につけ、独自の美人画表現を極めた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。昭和24年74歳で死去。

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