美人画礼賛

《浄瑠璃船》木谷千種|女の色気は艶肌の「うなじ」で魅せる

≪浄瑠璃船≫木谷千種;

女の色香は「うなじ」から

衣紋を抜いた女性の、首すじの色っぽさにドキッとした事はありませんか?
着物では、露出する肌の面積が少ない分、すっと伸びる襟足が妙に色っぽく見えたりします。今回ご紹介する作品には「うなじ」から女の色気を放つ三味線弾きが登場。正統派ばかりじゃつまらないというあなた。お待たせしました、大人の色香を漂わせる美人をご紹介します。

浪花の夏の夕涼み

まずは作品の全体から見てみましょう。木谷千種が描く《浄瑠璃船》の時代設定は江戸時代の末頃。大川(旧淀川)で涼をとる舟々を描写したものです。夏の暑い盛りに、舟で夕涼みをするという風流な遊びは、「水の都」と謳われた大阪の情緒あふれる光景と言えましょう。落語「遊山船」「船弁慶」にも、大川を舞台にして納涼を楽しむ人々が生き生きと描かれています。
≪浄瑠璃船≫では、浄瑠璃を聴かせる男女が乗っている舟を画面の中心にして、上方には風雅な女性達が乗った屋根舟、下方には物売舟が浮かんでいます。

≪浄瑠璃船≫木谷千種

屋根舟には、浄瑠璃に聴き入る年若い「いとさん」が。お七髷にススキの簪、振袖には秋草と虫籠が描かれ、季節を先取り。刺繍の襟も豪華です。奥にはお茶を点てている女性もいますね。平茶碗で薄茶のお点前中です。茶筅を扱う指先の繊細さに、女性の気配りを感じます。
天満市場から来ていると思われる物売舟に積まれているのは、夏の水菓子の定番であるスイカ、まくわ瓜、すもも。包丁が見えますので、その場でカットして提供してくれるのでしょう。画題にもなっている浄瑠璃船の船首には、日焼けした船頭さんがいます。袖なしの半纏には大胆な松葉散らし。物売舟が気になっているのかもしれませんね。

≪浄瑠璃船≫木谷千種

こちらは浄瑠璃を語る男女。落ちぶれても芸は身を助け、在りし日の品格と容姿を保ち続けているカップルです。男性は人目を避けるように籠目柄の手拭をかぶっているものの、白い浴衣が闇夜には眩しく映ります。貝の口は関西巻きですね。床本は「傾城恋飛脚 新口村の段」。追っ手が新口村へやってきて、梅川と忠兵衛が絶体絶命になるシーンを語っている最中です。世間の目を避ける男女の悲哀を、浄瑠璃船の二人に重ねて演出しているのかもしれません。脇には「伽羅先代萩 政岡忠義の段」の床本もありますね。

大人の女の色気は細部に宿る

男性に寄り添うようにして太棹三味線を弾く女性は、一見して伝法肌(=女だてらに威勢が良いこと。勇み肌。)だと分かります。櫛に千鳥掛けをした「浮舟髷」や、昼夜帯による「ひっかけ結び」は、素人の女性ではあまり見かけません。
華奢な柳腰。蔦柄の浴衣。二本の長い襟足と白い「うなじ」からは、退廃的な艶めかしさを感じます。…それもそのはず、ぐっと衣紋を抜いた襟が、背中の上でちょっとたわんでいるのがお分かりでしょうか?(浴衣を畳むと丁度折れるあたり)
川面の湿気を含んでいるのか、あるいはこの女性が夏の暑さで汗ばんでいるのか、襟まわりに微妙なゆるみが出来ています。この“ちょっとゆるい感じ”が色っぽく見える訳なのです。近年、浴衣の襟に襟芯を入れているのを見かけたりしますが、それではこのゆるい感じは作れません。衣紋を抜きすぎると、いやらしくなりますが、拳一つ分くらいはあけても良いと思います。見た目にも涼やかですしね。その代わり、胸元はきちっと合わせて欲しいところ。
皆さま、今年の夏はぜひ浴衣を着て下さいませ。そして衣紋の抜き具合にこだわってみましょう。後ろ姿の印象が、がらりと変わりますよ。
(中千尋)
※《浄瑠璃船》は、大阪髙島屋7階グランドホール「きらめく日本画コレクション」(2014年4月2日〜4月14日)にて展示されています。実物をご覧いただけるチャンスです!

 

【作品解説】

昔の大川で盛んであった納涼の風景を描いたもので、第7回帝展に入選。作品の構想を数年来あたためていたらしく「浄瑠璃船」への想いを千種は次のように語っている。
「浄瑠璃船を題材にして藝が身を助けると云つた零落した夫婦者を主題に在りし昔の大川の文化の爛熟と頽廃した大川端の灯點し頃の情緒を現はしたいと思つて居ます」(「時事新報」大正8年8月30日)

【作家略歴】

木谷千種(きたに ちぐさ)1895~1947(明治28年~昭和22年)
大阪市北区堂島生まれ。本名吉岡英子。唐物雑貨商吉岡家に誕生し、12歳で渡米、シアトルで2年間洋画を学ぶ。大阪府立清水谷高等女学校在学中より四条派の深田直城に師事。東京に転居してからは池田蕉園に入門。大正4年に大阪へ戻り、北野恒富、野田九浦に師事。同年、第9回文展に≪針供養≫で初入選。大正5年には、島成園、松本華羊、岡本更園とともに「女四人の会」を結成。大正8年、菊池契月に入門。大正9年、近松門左衛門研究家の木谷蓬吟と結婚。以降、文楽や歌舞伎を題材にした作品を数多く発表する。
自らの創作活動のほか、画塾「八千草会」を大阪の自宅に設立し、後進の育成と女性画家の地位向上にも心血を注いだ。昭和22年51歳で逝去。

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