美人画礼賛

《わか葉》上村松園|油断大敵?! 後ろ姿は見られている

《わか葉》上村松園

“背中美人”こそ真の美人

後ろ姿って、ついつい無防備になりがちです。
自分ではチェックしづらい部分ですが、他の人からは案外見られているんですよね。たくさんの美人画を世に送り出した美人画家上村松園は、“背中美人”も数多く描いています。後ろ姿も磨きたいあなた!美しくなれる秘訣が満載の《わか葉》は必見ですよ。

若奥様が肘をついて窓の外を眺めています。なぜ若奥様と分かるのか?それはヘアスタイルが「先笄(さっこう)」だからです。
長い黒髪が美人の条件とされていた江戸時代、日本髪の文化は最盛期を迎えました。住んでいる地域や年齢、職業、身分はもちろん、未婚、既婚ということも髪型を見れば一目瞭然という時代。「先笄(さっこう)」は、江戸中期から明治末頃まで、上方の上流町家の若奥様が好んで結っていた髪型です。というわけで、この女性はお嫁入りして間もない新妻であることが分かります。

《わか葉》上村松園

オシャレ上級者の細部へのこだわり

コーディネイトを拝見していきましょう。
白緑(びゃくろく)色の無地の着物。背中に紋が一つ。若奥様なのにちょっと地味かな?と思いきや、窓の外に描かれた萩の色味をご覧下さい。まだ花が咲いていない、若葉の頃の萩ですね。季節は5月頃でしょうか。着物の色と相乗効果をあげて、画面全体に清々しい印象を与えています。
チラリと覗く襦袢には疋田絞りがさりげなく入っていたり、帯揚げには青もみじの柄。角出しに結んだ墨色の帯は、一見するとシンプルな格子柄の帯ですが、極細の線で白緑と金泥が入っています。障子の格子と呼応して、小気味よいリズムを感じさせます。
季節や空間までも、自分の装いに取り入れてしまうセンスの良さ……。この若奥様、かなりのオシャレ上級者 ですね。

ひときわ美しい後ろ姿にもご注目を。
指を絡ませ、肘をついていますが、背中は丸まっていませんよね。肩をすくめたりもしていません。スッキリと背筋が通り、紋も綺麗に見えています。角出し結びは帯枕を使わないので、楽チンと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、お太鼓結びなどと比べると、背中の露出面積が大きいので、姿勢が悪いと意外に目立ってしまうのです。
画中の若奥様のような美しい姿を保つことは、かなり難しいのかも…?いえいえ、ご安心を。次にあげるちょっとしたポイントを意識するだけで、後ろ姿がきれいに決まりますので、ぜひお試しください。

背中美人になれるポイント

①襦袢を着た段階で、背中の皺をとっておく。
下着の着付けが綺麗でなければ、最終的に美しい着付けへは、たどり着けません。伊達締めを締めたら、襦袢の皺をとることをお忘れなく。

②背中心は、必ず背骨の真上を通らせること。
鏡が無い場所で着るときでも、指先で背中心の縫い目をたどれば大丈夫です。

③帯を締めた後、着物のお尻をまくって、肌襦袢&襦袢を下へひっぱる。
着物と襦袢、下着類の間に隙間があると、背中に皺が寄る原因になります。(くれぐれも、背後に誰も居ないことを確認して下さいね。急にやるとビックリされます!)

④帯のタレが跳ね上がっていないか、手で触って確認。
御不浄から出た時や、椅子に座った後なども、確認をお忘れなく。

⑤猫背には要注意
着付けが綺麗に決まったら、あとは頑張ってキープしましょう。背中を意識するだけで背筋が鍛えられて、自然と姿勢が良くなります 。

この作品は、名都美術館「<特別展>上村松園の魅力 —本画と下絵を一堂に—」(2014年3月9日まで開催)で観ることができます。今がチャンス!細部にまでわたる上村松園の美意識を、心ゆくまでご堪能ください。
美しい後ろ姿と佇まいにあやかって、思わず背筋がシャンとすること間違いなしです。
(中千尋)

 

【作品解説】

昭和15年、戦時色が色濃くなる中で描かれた。同年には代表作《鼓の音》なども制作。
世の中に翳りが見え始め、「贅沢は敵」と標榜された時代に、何者にも心迷わされず、自身の画道に邁進していたというのは驚くべきことである。大胆な構図や無駄な装飾を省いた簡潔な画面、確かな表現技術を見ても、松園の円熟期を語る作品の一つと言えるだろう。

【作家略歴】

上村松園(うえむら しょうえん)1875~1949(明治8年~昭和24年)
京都市下京区生まれ。本名津禰(つね)。父親は松園が誕生する直前に他界した為、母仲子によって女手一つで育てられる。京都府画学校へ入学(明治20年)、同年四条派の鈴木松年の画塾へ入門。明治26年から幸野楳嶺に師事、楳嶺が死去した為、明治28年から竹内栖鳳に師事。様々な流派の技法を身につけ、独自の美人画表現を極めた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。昭和24年74歳で死去。

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